2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

[再]どうする家康(39)太閤、くたばる★1

493 :公共放送名無しさん:2023/10/21(土) 13:29:40.76 ID:kzLZgLGU.net
>>385
神社紹介「柳原の歴史」 https://www.hyogo-ebisu.com/syokai/yanagihara.php
柳原の昔の姿 弘化三年(1846年)村上荘七郎「攝津国兵庫津細見図」より
兵庫の町は、何度も歴史の表舞台に登場し、平安時代の一時期には福原に都がおかれていたこともあるという由緒のある町です。
兵庫の西の端にあたる柳原の名は、往古この地にあった柳の大樹が由来と言われています。
現在の柳原のJRガード附近に柳原惣門があり、兵庫の棒鼻として兵庫津の西国往還の出入口、また役場として繁栄しました。
兵庫津が歴史上に現れたのは、平清盛の大輪田修築の頃と思われます。
古名は「大輪田の泊」と呼ばれ天然の良港として栄えた歴史を持ち、その足跡は町の其処かしこに残っています。元禄地図によりますと、東は湊町から須佐・入江に達し、都賀の堤(兵庫の外廓)で一廓をなしていました。
天明7年頃(1788年)、柳原には72軒の戸数があり、明治維新まで続きました。現今の神戸の中心地は三宮界隈に集中していますが、
神戸発生の地である兵庫は、明治以後急速に発展し、大正を経て昭和20年頃まで商工の中心地として大いに繁栄しました。
蛭子神社  兵庫県神戸市兵庫区西柳原町5-20

総レス数 1001
144 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200